ワーホリで人生観が変わった5つの気づき|価値観・人間関係・生き方が根底から揺らいだ話

ワーホリで見えた、人生の「軽くなる」瞬間たち
ワーキングホリデーは、単なる語学留学でもなく、ただの旅でもありませんでした。
カナダでの日々を通して僕が得たのは、モノの持ち方、時間の使い方、人との向き合い方──人生のあらゆる側面に対する“新しい視点”でした。
本記事では、そんなワーホリ生活の中で価値観が大きく揺さぶられた5つの気づきを、自分の体験とともに綴ります。
もしあなたが、今の暮らしや働き方にモヤモヤを感じているなら、きっと何かヒントになるはずです。

1. ミニマルに生きると、人生はもっと軽くなる

なぜ僕たちは「物」で安心しようとするのか?

この理由を端的にいうと所有物は「自分で管理し、コントロールし、安心したいから」です。

このコントロールできるという感覚が、精神的な安定や自信をもたらします。

自分のテリトリー(物理的・心理的な)を確保することで、安心できる居場所を作っているのです。

僕の親はまさにモノを持ちたがる人で、いつもモノ置き場を開拓するのに苦労していました。

しかし、モノが増えると購入コストだけでなく、運搬コスト、保管場所・維持コストもかかってきます。

極端にモノを減らしすぎるのも考えものですが、モノがありすぎるとこういった隠れコストに押しつぶされてしまうこともあります。

本当に必要なものは、リュックひとつで足りる

僕はワーキングホリデーでカナダに行く際、リュック1つとキャリーケース1つ(中身は日本食と大量の着替え)で渡航しました。
僕的にはモノをかなり厳選したつもりだったんですけど、使わなかったモノや現地で買えたモノが多すぎて、機内預入荷物(キャリーケース代)でかなりのお金を払う羽目に会ってきました。

そこで今のバンクーバー島についてから荷物の厳選を改めてやってみました。
そしたらなんと、着替えやガジェットを入れるだけなら、身の回り品+リュック1つで事足りることに気がつきました。
本当に必要なものは数えられる程度しかなかったのです。

僕は日本にいる頃狂ったようにAmazonで買い物をしており、毎週数千円のモノが家に届けられ、自分の部屋を圧迫していくように感じていました。

“身軽でいる”ことが、人生の選択肢を増やす理由

これはシンプルに物が多すぎるとお金がかかるだけでなく、移動に対するハードルを上げてしまうからかです
僕はカナダ国内で1度引越しをしましたが、物が少なかったためパッキングも30分程度で終わらせることができました。
モノを減らすだけでお金も時間も節約できてしまうんです。

この激動の時代、もうしかしたら僕らも「様々な理由のために移動をせざるを得なくなること」が起こるかもしれません。

そうなったときに素早く動けるよう、僕は適度にミニマルに生きることをお勧めしたいと思います。

「体験」はモノよりも、ずっと心に残る

モノって、買う前に「あれにしようかな?それともこっち?」と悩んでいる時間がいちばんワクワクしませんか?

でも実際に手に入れてしまうと、その喜びはだんだんと薄れていくもの。これは誰もが一度は経験したことがある感覚だと思います。僕自身、例に漏れずそのタイプです。

勢いで買ったあのガジェットも、最初の数日間はテンションが上がるけど、気づけば棚の奥にしまわれ、結局ただのお着物になってしまうということもよくあることです。

けれど、「旅」や「経験」、あるいは「スキル」は違います。

体験しているその瞬間はもちろん最高に楽しいし、後から写真や動画を見返しても「あのとき、本当に楽しかったな」と何度でも楽しめます。

なぜなら、体験は他人と比べることができない唯一無二のものであり、そして人は「思い出を美化する」習性を持っているからだと僕は思います。

例えば、同じ旅先を訪れたとしても、Aさんの旅と僕の旅はまったく別物。どちらが「楽しかったか」なんて比べられないですよね。

しかも過去の楽しい記憶って、何度思い返しても色あせない。それどころか、思い返すたびにどんどん美しくなっていく。

そう考えると、「体験こそが最高の財産」と言えるのではないでしょうか。

2. 中古で充分。モノへの執着を手放した瞬間

新品主義はマーケティング

新品主義は“マーケティングの産物”かもしれない

日本では、車も家も「新品を買うのが当たり前」「中古を選ぶのは妥協」という価値観が、ごく自然に浸透しています。

でも、ワーホリで海外に出てみると、それがどれだけ“日本独自の思い込み”だったかに気づかされました。

たとえば、カナダやアメリカでは、築100年以上の家に普通に人が暮らしていますし、自転車も服も家具も家電も中古を使う人は大勢います。

「新品じゃなくても困らないし、安く買えるし、ゴミも減らせて社会貢献できるからそっちの方がいいんじゃない?」
そんな合理的な価値観が生活のベースにあるんです。

実際、僕自身も最初は「中古ってなんかイヤだな…」と思っていたのですが、数ヶ月もすれば感覚がガラッと変わりました。

「清潔で、問題なく使えるなら、新品じゃなくて全然いいじゃん」と。

もちろん、衛生面が大事なもの――歯ブラシや下着、生理用品などは新品であるべき。
でもそれ以外は、もっと自由に考えていい。

そもそも、新品を求める気持ちは「安心感」や「所有欲」によって作られているものであり、その多くはマーケティングによって植え付けられた価値観だとも感じています。

日本では空き家がたくさんあり、数百万円で売られているにも関わらず多くの人が新築にこだわり、何千万ものローンを背負おうとする。

それは本当に必要な選択なのか?

親や祖父母の時代とは違い、新築の戸建てを購入以外のオプションも選べる時代です。

何を持ち、何を持たないか。自分の人生を縛るものに、気づいて手放す勇気。

身動きが取れるうちに、買う前に立ち止まって考える判断力を、今こそ養っておくべきだと思います。

3. 世界は広い。価値観を揺さぶられる出会い

ベトナム旅行で出会ったブラジル人とペルー人-work for life-

※これはカナダ国内の話ではありません
僕は2年前の夏にベトナムの首都ハノイに旅行に行きました。
その時に居合わせたブラジル人とペルー人の男女に会いました。(話の内容的に不倫旅行中だった模様)
その二人に対して僕は「どのくらいの期間旅行する予定ですか?」と聞くと、
「5週間だよ。東南アジアを周遊するんだ。君は」
と聞かれて、「1週間だよ!日本で1週間も連休が取れたらすごいことだよ!」
と苦笑しながら答え、”なんでこんな、一生懸命働いているんだろう”と虚しさを覚えました。
するとブラジル人の男性が「You should do “Work for life, not life for work”と言ってきて”Yeah.”と、返事をしました。
今覚えばこの出会いには意味があったと思います。

日本で1週間,2週間休むなんて言ったら、上司からとんでもない”ハチャメチャ”が押し寄せてきますよね?

なんでこんなに休みづらい社会なんでしょうか。
”もっと自分の人生を自分のために生きてもいいんじゃないか”
この出会いはそう言った価値観、自国の常識が他の場所では非常識になるということを教えてくれました。

日本ではよく「常識では〜」「普通だったら〜」
という言葉をよく使いますが、”これは思考停止で前例を踏襲しているだけ”というふうにも解釈できるんじゃないかと思えるようになりました。
アインシュタインの言葉に常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」というものがあります。。


だから僕は、「その”常識”のより優れた代替案となる”常識”」を考えることが大事なんじゃないかなと思います。

アメリカの富豪から学んだ、時間とお金の使い方

昨年アメリカを訪れたとき、僕は人生で初めて“本物のお金持ち”と出会いました。

その人は、いわゆる「桁違い」の存在でした。

複数台の高級車を所有し、広々とした邸宅に住み、
月に2回ハウスキーパーを雇って家を清掃してもらい、年に何度も海外旅行に出かける。

もはや“嫉妬”すらできないほど自分を遥かに超越した存でした。

でも、その人の話をじっくり聞くうちに、ひとつの明確な軸が見えてきたんです。

「お金は、“時間”と“資産”と“経験”を生み出すために使うもの」

その視点に触れた瞬間、自分の中の価値観がガラッと変わった気がしました。


(アメリカでは)不動産など価値の落ちにくいものに投資していた

車も“ステータス”ではなく、“リセールバリュー”で選んでいた。

ハウスキーパーを雇うのは、
「浮いた時間でさらに価値を生む仕事に集中する」ためだと言っていました。

そして旅には積極的に出かけ、世界中の文化や価値観に触れ続けていた。

その人は一代で富を築いた、いわゆるゼロからの成功者。

目の前で、豊かさとは何かを自然体で語る姿に、
「なぜお金持ちはさらに富めるのか」という本質がにじみ出ていました。

それは、たくさん稼いでいるからではなく、
“お金をどう使うか”に徹底した哲学があるからこそだったんです。

この出会いは、僕にとって「人生の時間とお金をどう扱うか」を問い直す、
とても大きな気づきになりました。

4.自然にふれると、人間らしさが戻ってくる

スマホより、オーロラの光に感動できる人生を

オーロラの下で感じた、“ピーク・エクスペリエンス”という瞬間

凍てつく夜空に、ゆっくりと揺れる緑のカーテン。

それは、テレビやYouTubeで何度も見たはずのオーロラのはずなのに、
実物を前にした瞬間、言葉を失った。

「ああ、これは自然に“圧倒される”ってことなんだ」

心が震えるような感動と、それと同時に背筋がすっと伸びるような、静かな“畏れ”。

あのとき僕が感じたものは、心理学でいう「ピーク・エクスペリエンス(peak experience)」だったのだと思います。

心理学者アブラハム・マズローが提唱したこの言葉は、
人が人生の中でごく稀に体験する、精神的・感情的な「頂点の瞬間」を意味します。

それは自己を超えた何かとつながるような感覚であり、
言葉や理屈では説明できない“生”そのものを肯定されるような体験。

オーロラの光を浴びていたあの夜、僕はまさにその状態にいたのだと、あとから気づきました。

自然の中にいると、人間がどれだけちっぽけで、
そして自然がどれだけ圧倒的かということを、五感すべてで思い知らされます。

スマホの通知も、タスクも、SNSも全部関係ない。
ただ「生きている」こと自体が、奇跡だと思える。

オーロラは、僕にとって“絶景”ではなく、“覚醒させてくれるトリガー”でした。

最近のアニメでわかりやすく例えると「チ。地球の運動について」で、ラファウがオープニングのムービーの中で星空を前に圧倒されているような、あんな感じになりました。

自然は、ただ美しいだけじゃない。
心の奥にある「本当の感受性」を呼び起こしてくれる、最強のセラピストなんです。

あの夜のことを、僕は一生忘れないと思います。

そしてまた、人生であの“頂点”に触れるような旅を、きっと繰り返していくんだと思います。

ただフィッシュ&チップスを食べるだけで、幸せになれる不思な体験

田舎育ちの僕にとって、海や山、川は「特別なもの」ではありませんでした。

どこにでもある風景で、むしろ日常の背景に溶け込んでいるような存在。

だから、外から来た人たちに「すごく風光明媚な場所ですね!」と感動されたりしても、
正直、あまりピンと来なかったんです。

カナダに来たばかりの頃もそうでした。

「なんでわざわざ、湖まで行ってランチ食べるの?」
「その時間、家の近くでもっと便利に過ごせるんじゃない?」
──そんなふうに思っていた自分がいました。

でも、ワーホリ生活も終盤に差し掛かったある日。
バンクーバーのWhite Rock Pierで、ただフィッシュ&チップスを頬張っているその瞬間。

風に揺れる波の音、空と海の境目の曖昧さ、
鳥の鳴き声と太陽のぬくもり。

その全部が心に染み込んできて、屋久島の頂上に着いた時のあの感動を思い出したんです。

「ああ、自然って、こんなにも偉大だったんだな」って。

当たり前のようにそばにあるものほど、意識して向き合わないと見失ってしまう。

その日を境に、僕の中で“自然”に対する価値が変わりました。

日本に帰ったら、もっと自然を大切にしたい。
ゴミ拾いや清掃ボランティアに参加してみるのも、なんだか素敵なことに思えてきたんです。

派手じゃなくていい。ただ、自然の中で、静かに過ごすだけで心が満たされる──
そんな幸せがあることに、ようやく気づくことができました。

5.休むことは、未来への自己投資だった

ワーホリでの生活を通じて、僕は“休むこと”の本当の意味を学びました。

仕事には波があり、全く休めないほど忙しい時期もあれば、時間に余裕がある時期もありました。

その“余白”がある日々の中で、僕は初めて、英語を学び、ブログを書き、AIを触り、ジャーナリングをするという新しい習慣を手に入れました。

それ以上に大きかったのは、「考える時間」の大切さに気づいたこと。

自分の価値観と向き合い、これからの人生をどう生きたいか、本気で考える時間を初めて持てた気がします。

僕の夢は「時間と場所に縛られず、自由に生きる」こと。

でもこれまで、行動せずにただ本を読んで満足しているだけの自分がいました。

もし今も日本で公務員を続けていたら、

・「副業は禁止だから」

・「親名義で法人作りたいけど無理だから」

…そんな“できない理由”ばかりを並べて、きっとまだ何も始めていなかったと思います。

正直、もっと早く行動しておけばよかった。
収益なんて最初は出ないに決まってる。
それでも一歩を踏み出すことが、何より大切だったと今ならわかります。

テクノロジーとの距離を見直す

今、僕たちはスマホを通じて、海外の巨大テック企業に「時間」という有限の資産を奪われています。

気づけば、TikT◯kを延々とスクロールし続けたり、YouTubeで一日が終わっていたりする人が周りにもたくさんいます。

でも、スマホを見ながらの“休憩”は、実は脳を全然休ませてくれていない。

むしろ、大量の情報という“ゴミ”を処理するために脳がずっと働かされているような状態です。

さらにスマートフォンは時間感覚を狂わせます。「ちょっとだけ」のつもりが、気づけば何時間も経っている。

そんな中、僕はワーホリ生活を通じて、スマホと距離を取る習慣を身につけました。

するとどうでしょう。毎日が驚くほど“時間が余る”状態になったんです。

その浮いた時間でブログを書き、集中し、フロー状態に入る。
結果、以前よりもずっと幸福度の高い時間を過ごせるようになりました。

「休むこと」は、ただダラダラすることじゃない。
未来の自分をつくる、立派な“投資”なんです。


「自由に生きる」ために、まずは“見直す勇気”から

カナダでのワーホリ生活を経て、僕が強く実感したのは、「常識」は壊してもいいし、手放してもいいということでした。

モノを減らせば、移動も行動も軽くなる。
スマホから離れれば、本当の「休息」が戻ってくる。
そして何より、「旅」や「経験」は、人生そのものを豊かにしてくれます。

僕たちは、もっと自由でいい。

自分で選んだ道を、自分のタイミングで歩くために、まずは“当たり前”を疑い、自分の本音に耳を傾けることから始めてみませんか?

このワーホリで得た体験が、きっとこれからの人生の“軸”になっていくと、僕は信じています。

ふぅ、なかなかの長文になってしまいました。
ここまで読んでくださってありがとうございました。

このブログを読んでくださった皆さんが、また海外に出て新しい一歩を踏み出し、自分らしい人生を歩めることを願っています。

それでは、またっ!!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です